あなたは人を愛せますか

 思春期の性にまつわる問題に積極的に取り組んでいる立川相互病院の機関紙に依頼された原稿をそのまま掲載しています。


愛の反対は?
 「愛の反対は?」と聞かれたら何と答えますか。「愛」という言葉の響きは恋愛を経験した私とっては何とも言えない神秘的なものでした。胸が痛む、どきどきする、そんな思い出が昨日のことのように蘇ってきます。そして「愛とは」といった本を読みあさった私は「愛の反対」は「憎悪」、「嫌悪」と思っていました。しかし、マザーテレサは「『愛』の反対は『無関心』です」とおっしゃったとか。この言葉を聴き、私はなんと未熟だったことか、何もわかっていなかったのだと思い知らされました。

人の生き方に学べない時代
 人は他人の生き方から多くのことを学びますが、人と人との関係性が希薄になる中で他人の生き方を学ぶ機会が減っているようです。その中でも最近特に正しく学べなくなったのが性についてではないでしょうか。昔の先輩たちは性に関することを何かと教えてくれたものですが、今は語ってくれる先輩も減る一方で間違った情報が氾濫しています。
 そのような状況を何とかしなければと思う人はいるのですが、若者にどのような性教育をするかという議論になると、結婚するまでは純潔が一番、いやコンドームをもっときちんと教えるべき、思いやりの気持ちを育てよう、といろんな人がいろんな思いを持ちつつ、大人同士が相手の主張に耳を貸さず、批判合戦が繰り広げられています。結果として、いま学校での性教育が停滞していることは多くの関係者が認めざるを得ない状況です。一人ひとりの思いの是非はともかく、結果としてこのような状況を作ってしまった私を含めた大人たちは本当に若者のことを愛しているのだろうか、本当は無関心、うちの子に限ってといった他人事意識なのではないでしょうか。

人と人との関係性
 そんなことを考えていた時にWHO西太平洋地域事務局長の尾身茂さんが、現代社会の一番の課題は「人と人の関係性の喪失」であり、最優先の目標は「関係性の再構築」、そのために急がれるのは「コミュニケーション能力の再開発」と話されたのは目からウロコでした。
 他人事意識というのはその人を「他人」と見ているのではなく、そもそもその人の存在に関心がない、すなわちその人を愛していないことのようです。われわれは人と人との間で生きている「人間」という存在であるはずなのに、いつの間にか他人の存在を疎み、人に関心が持てない、人を愛せない存在になってしまっているようです。自分だけの性欲や寂しさを埋めるためだけに人と交際する人もしかり、性のトラブルに巻き込まれている若者に何ら手を差し伸べられない大人たちもしかりです。

人を愛せる人になるには
 人を愛せる人になるには、何よりその人だけではなく、常に他の人にも関心が持て、関われ、コミュニケーションが図れる人でなければなりません。性教育は生きるための教育と言われますが、私の性教育講演会の目的は情報提供だけではなく、私や私の患者さんたちの生き方をメッセージとして送る中から、若者たちが私という「人」を感じ、人の生き方から何かを学び、関心をもって反応してくれるコミュニケーションの場づくりです。私の話を真剣に受け止め、次へのステップを力強く踏み出してくれる若者たちの姿は私自身をエンパワーしてくれます。私も彼らへの感謝の気持ちを忘れず、これからも自分なりのメッセージを伝えていければと思っています。若者たちが多くの人とのコミュニケーションを通して、人に関心を持ち、人を愛せるような環境づくりをしたいと思いませんか。そのためには大人たちが人を愛することから始めないとだめかもしれません。