「公衆衛生ねっと」 災害時の公衆衛生

島貫秀樹の支援活動 C

○3日目(3月16日:被災6日目)

午前中に、となりの沖野中学校の担当保健師が避難所に来てくれ、情報交換をする。
その後、地元の地域包括支援センターの保健師が来てくれる。
自動車も自転車も流されたとのことで、歩いて地域の高齢者の状況把握をしているとのこと。昨日までの情報をコピーして渡す。

避難所全体を確認し、沖野東小学校へ。
熱がさがらないことども一名。近くの病院をすすめる。
歯の詰め物がとれたとういう住民も、市の歯科医師会へ電話し、
往診してくれるとの返事をいただく。

その後、沿岸部に近い六郷中学校の避難所へ。
(途中、地元のクリニックの先生へ。院外薬局も行っているので、対応できるとのこと。)
静岡県の方が引継ぎを行っている。
地域包括支援センターは、行政と別に動いているとのこと。


そのまま、沖野中学校へ移動。
体育館と武道場の2箇所避難所を開設。
武道場では、近くのクリニックに入院していた患者さんと看護師さんが避難いしていた。
ガス以外のライフラインは回復したが、避難している人が帰宅できなくている。

外では、関西からの炊き出しグループが焼きそばやフランクフルトを配布。
中には、近所から鍋をもって並んでいる方も。学校の隣ではラーメン屋さんが開業している。


午後2時ごろ学校に戻る。
津波で流された方の部屋にいく。
話を聞いていくと、親族がいる方や自力で家を借りられる方もいる。
それぞれが電話を利用して連絡をとることになる。

夕食後、体育館へ行く。
残っているのは、50名程度。
夜だけ戻ってくる人もいる。
一人ひとり話を聞くと、家が全壊したのは、二家族のみ。
それ以外は、不安で戻れない。または、家の中を片付けられない。
これに該当するのは、独居高齢者、高齢者世帯、そして避難所のボランティアリーダー。
ボランティアリーダーは、限られた人が行っているため、一日三食の配給を行うために、
自分の時間を確保できなく、在宅へ戻る準備が出来ていないことがわかった。
また、重労働も重なり、腰痛を訴えている。

夜9時。行政・教員のスタッフの多くは疲れてねる。夜間、余震が続く。
疲労も限界に来ている。

                            次へ