「公衆衛生ねっと」 災害時の公衆衛生

渡會睦子の支援活動 C

○3月19日 (土)

・今回の震災の避難所は、けがの処置がほとんどない。
・D-MATが2日間ですぐに退散したチームもあるように、津波の関係上、溺死したか、生きているかの違いだけで、外科的処置がほとんどない。
・直下型でないことと、横揺れだったこともあり、家屋の倒壊はあまりなく、津波の問題。避難所での保健師活動も、生活を支え、風邪や持病の悪化予防が重要で、1週間たって医療問題として出てくるのは、薬が津波に流されたことで、処方してもらうことが重要。普通の被災のように湿布などは必要な人がほとんどいない。ただ、みんなショックで血圧が高い。
・また水道回復前は、避難所になっている学校の中が、連れてきた犬のフンや人糞で汚れ、トイレの状況もすごいものだったと聞いた。学校の先生が掃除し、それが原因となる感染症は起こらずに済んでいる。先生方の疲れもひどい。
・医師たちも被災し、被災していないホームドクターが被災地を巡回したもので、この土曜になって、ホームドクターが体調を崩し始めている。
・自衛隊仙台病院の医師が、事前に電話で状況を説明すると、迷彩服の医師と看護師が薬持参で無料で往診してくれた。今回は何においても、自衛隊が救いの神。浜近くでは自衛隊が行方不明者の捜索をしてくれている。
・今日初めて担当した避難所の88歳女性の方が、「一緒にヘリコプターで救助されたおじいちゃんと離れ離れの避難所に運ばれ、連絡がない、息子も孫も連絡なく、きっと亡くなったんだと毎日泣いてたんだ。でも、私は強い人間だから頑張るんだ」と気丈にふるまっていた。が、ふと、「息子さんには連絡したの?」と聞くと「家も何も流されたと思う」というので電話番号をお聞きし電話してみたところ、「毎日探して探して何十か所も避難所を回り、そして、遺体安置所にも行った。おじいちゃんは他の避難所で見つけた。よかった!よかった!」とお孫さんが電話に出られ感動してくれ、一時間後には迎えに来てくれ、感動の息子夫婦・お孫さん二人との抱擁を見ることができた。お迎えに来られるまでは、88歳まで生きていて一番うれしいと喜びの興奮で血圧が220まで上がり、少し抑えるケアが主流となりました(心配でしたが幸せなケアでした)。
・他にも今日まで津波につかった服のままでいた方を見つけ、山形の神町公民館から運んできた服や下着を片道50分かけ、区役所に取りに戻り、お渡しできた時の嬉しそうなお顔は忘れることができないと思う。
・近所の人が、自宅のお風呂を提供してくれ、津波の被害にあった方を優先的に入らせていただいた。
・これからはいるのは、心のケア。徐々にカウンセリングを始めている。

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瓦屋根とブロック塀が危ない